新事業進出・ものづくり商業サービス補助金の「賃上げ要件」をわかりやすく解説


新事業進出・ものづくり商業サービス補助金は、本年6月に公募が始まったばかりの新しい制度ですが、「賃上げ要件」の骨格は、前身にあたる「中小企業新事業進出促進補助金」(以下「新事業進出補助金」)や「ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金」(以下「ものづくり補助金」)から、かなりの部分がそのまま引き継がれています。
私自身、これら前身制度における賃上げ要件対応をご支援してきましたが、その経験から申し上げると、経営者様が抱く誤解のパターンには共通点があります。それは「賃上げって、従業員の給料を上げればいいだけですよね?」という感覚的な理解のまま事業計画を組み立て、後になって算出方法や返還リスクとのズレに気づく、というケースです。
本記事では、公募要領に基づき、現行の新事業進出・ものづくり商業サービス補助金における賃上げ要件の内容を解説するとともに、前身制度からの変遷を踏まえた実務上の注意点を整理します。なお、前身制度と現行制度とでは基準値や制度設計が異なる部分もあるため、両者を混同しないよう、本記事では明確に区別して記載します。

賃上げ要件は全枠共通の「基本要件」

まず、現行の新事業進出・ものづくり商業サービス補助金における前提を確認します。賃上げ要件は、革新的新製品・サービス枠、新事業進出枠、グローバル枠のすべてに共通する「基本要件」の一つです。基本要件には他に、付加価値額要件、事業場内最賃水準要件、ワークライフバランス要件などがありますが、賃上げ要件はその中でも「目標値未達の場合、補助金返還義務あり」と明記されている、実務上とりわけ注意すべき要件です。
要件の内容はシンプルで、補助事業終了後3〜5年の事業計画期間において、一人当たり給与支給総額の年平均成長率を3.5%(基準値)以上増加させることが求められます。

前身制度からの変遷ー「二者択一」から「単一基準」へ

この3.5%という基準値は、前身の新事業進出補助金でも公募回を重ねる中で行き着いた形です。第1回から第3回までの公募では、「①一人当たり給与支給総額の年平均成長率を、事業実施都道府県における最低賃金の直近5年間の年平均成長率以上増加させる」「②給与支給総額の年平均成長率を2.5%以上増加させる」のいずれか一方を満たせばよい、二者択一の制度設計になっていました。
これが第4回公募(令和8年3月〜6月)で整理され、「一人当たり給与支給総額の年平均成長率を3.5%以上」というシンプルな単一基準に変更されています。今回の新事業進出・ものづくり商業サービス補助金の賃上げ要件は、この第4回公募の枠組みをほぼそのまま引き継いだものといえます。
一方、もう一つの前身制度であるものづくり補助金では、近年の公募回において、付加価値額の年平均成長率3.0%以上に加え、「1人あたり給与支給総額の年平均成長率が都道府県別最低賃金の成長率以上」または「給与支給総額全体の年平均成長率2.0%以上」のいずれかを満たす二者択一方式、さらに事業場内最低賃金+30円以上という組み合わせで構成されています。新事業進出補助金の初期と似た構造を持ちますが、基準値や付加価値額要件の有無が異なります。支援の現場では、ものづくり補助金の感覚のまま申請しようとして、指標や水準を混同してしまうケースを何度も見てきました。統合制度に申請される際は、「一人当たり給与支給総額」「3.5%」という現行の基準値を、前身制度の数値と混同しないようご注意ください。

「一人当たり給与支給総額」の中身を正しく理解する

「一人当たり給与支給総額」という指標の定義は、前身の新事業進出補助金の時代から変わっていません。これは、給与支給総額を従業員数で除したものを指しますが、ここでいう「給与支給総額」には、給料・賃金・賞与等は含まれる一方、役員報酬、福利厚生費、法定福利費、退職金は含まれません。
ここで一点、実務上見落とされがちな注意点があります。ものづくり補助金における「給与支給総額」は、全従業員に加えて役員に支払った給与・役員報酬等を含む定義であり、役員報酬を除外する新事業進出系(新事業進出補助金・現行制度)とは、そもそも定義の範囲が異なります。両制度を並行して支援する中で痛感してきた点ですが、今回の統合制度に申請する際は、「役員報酬を含むかどうか」で旧ものづくり補助金の感覚を持ち込まないようご注意ください。
新事業進出補助金の申請支援をしていた際、「役員報酬もカウントできるのか」といった質問を支援先の経営者様から何度も受けてきましたが、役員報酬は明確に対象外です。この点を勘違いしたまま目標値を設定すると、事業計画期間の途中で数値の前提が崩れかねません。今回の制度でも定義は同じ内容で引き継がれており、過去の経験がそのまま活きる部分です。
また、算出対象となる従業員の範囲にも注意が必要です。基準年度及び各事業年度において全月分の給与等の支給を受けた従業員が対象で、中途採用や退職などにより全月分の支給を受けていない従業員は、該当事業年度に限り対象から除く必要があります。産前・産後休業、育児休業、介護休業などにより時短勤務を行っている従業員は、算出対象から除くことが可能です。なお、パートタイム従業員については、正社員の就業時間に換算して人数を算出する必要があります。

目標値の設定と「表明義務」を忘れずに

賃上げ要件では、申請者自身が基準値(3.5%)以上の目標値を設定し、交付申請時までに、全従業員または従業員代表者に対してその目標値を表明することが必要です。
私が新事業進出補助金の申請支援を通じて最も強調してきたのがこの「表明義務」です。公募要領上、目標値の表明がされていなかった場合、交付決定を取り消し、補助金全額の返還を求めるとされており、この規定は今回の制度にもそのまま引き継がれています。事業計画書の作成に集中するあまり、交付申請までのスケジュールの中で表明手続きが後回しになっているケースを時折見かけました。目標値の水準そのものより、この手続きを失念してしまうリスクの方が実務上は重大です。
なお、表明のタイミングは前身制度の中でも変遷がありました。新事業進出補助金の第1回公募では「応募申請時までに」表明することとされていましたが、第2回公募以降は「交付申請時までに」に変更され、現行制度もこの時期を踏襲しています。前身制度の初期の記憶のまま「応募申請の段階で表明していれば足りる」と誤解しないよう、現行制度では交付申請時が期限であることを確認しておいてください。
なお、基準値より高い目標値を設定した場合、その高さと実現可能性に応じて審査で評価されます。前身制度の支援を通じてよく感じたのは、目標値の水準そのものよりも「実現可能性をどう説明するか」の方が難しいという点です。事業計画で見込む付加価値額の増加が、どのように従業員への還元につながるのかを、数値の連動性をもって説明できるかどうかが審査対応の分かれ目になります。この点は現行制度でも変わらないと考えられます。

未達成の場合の返還ルール

賃上げ要件が達成できなかった場合の返還ルールも、事前に理解しておくべき重要なポイントです。事業計画期間最終年度において目標値を達成できなかった場合、補助金交付額に、目標値の未達成率を乗じた額の返還が求められます。
ただし、付加価値額が増加しておらず、かつ企業全体として事業計画期間の過半数が営業利益赤字の場合や、天災など事業者の責めに負わない理由がある場合には、この返還の一部が免除される規定もあります。返還額の計算式は次の通りです。

補助金返還額=補助金交付額×(1-(事業計画期間最終年度における一人当たり給与支給総額の年平均成長率(%)/一人当たり給与支給総額目標値(%)))

なお、事業計画期間最終年度における年平均成長率がゼロまたはマイナス成長の場合は、全額返還となる点にも注意が必要です。返還額は、交付された補助金額を上限とします。

「賃上げ特例」との違いに注意

もう一つ、現場で混同されがちだったのが「賃上げ要件」と「賃上げ特例」の違いです。賃上げ特例は、補助上限額の引き上げを希望する事業者が対象とする追加要件で、賃上げ要件の基準値(3.5%)に、さらに年平均成長率+2.5%を上乗せし、合計で年平均成長率+6.0%以上の増加を求めるものです。加えて、事業場内最賃水準要件についても、通常の基準値に+20円を上乗せする必要があります。
この「+2.5%で合計6.0%」「+20円で合計50円」という設計は、新事業進出補助金の第4回公募における大幅賃上げ特例とほぼ同一です。
つまり「賃上げ要件」は全申請者様に課される基本要件、「賃上げ特例」はより高い水準の賃上げに取り組むことで補助上限額の引き上げを受けるための追加要件、という位置づけの違いがあります。なお、地域別最低賃金引上げ特例を申請する事業者や再生事業者などは、賃上げ特例を適用できない点も申請前に確認しておく必要があります。

「事業場内最賃水準要件」との混同にも要注意

さらにもう一点、実務上よく見られる混同が「賃上げ要件」と「事業場内最賃水準要件」です。賃上げ要件は「一人当たり給与支給総額」の年平均成長率を問うものであるのに対し、事業場内最賃水準要件は、事業場内最低賃金が地域別最低賃金より毎年30円以上高い水準であることを求めるものです。評価対象となる指標がまったく異なるため、事業計画書では必ず両者を区別して整理する必要があります。

まとめ:賃上げ要件は「算出方法」と「表明義務」が鍵

新事業進出・ものづくり商業サービス補助金における賃上げ要件は、次の3点を押さえることが採択・その後の返還リスク回避の両面で重要です。

①「一人当たり給与支給総額」の正しい定義(役員報酬・福利厚生費・法定福利費・退職金を除く)を理解した上で目標値を設定する
②交付申請時までに、全従業員または従業員代表者への目標値の表明を確実に行う
③「賃上げ特例」「事業場内最賃水準要件」、さらには前身制度(ものづくり補助金等)の基準値・定義など、名称や数値の似た他要件・他制度と混同しないよう整理する
賃上げ要件は基準値自体はシンプルですが、算出方法や表明義務、返還リスクまで踏まえて事業計画に落とし込むには実務的な注意点が数多く存在します。制度は統合されても、積み重ねてきた実務上の勘所は変わらず活きる部分が多いというのが実感です。自社の給与体系や従業員構成を踏まえ、無理のない目標値をどう設計すべきかお悩みの場合は、ぜひお気軽にご相談ください。
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本記事は、令和8年6月発行の新事業進出・ものづくり商業サービス補助金 公募要領(1.0版)を主たる根拠として作成しています。あわせて、前身制度である中小企業新事業進出促進補助金の各回公募要領、及びものづくり補助金の近年の公募回における公開情報を制度の変遷を示す参考情報として使用しています。申請にあたっては必ず事務局公表の最新版をご確認ください。

堀 靖和
この記事の編集: 堀 靖和
中小企業診断士

「売上を伸ばしたい」「業務を効率化したい」「補助金を活用したい」 そんな経営課題を抱える事業者の皆さまに、大企業で20年以上培った実践知をお届けします。 現場の営業担当として担当チャネルのシェアを2倍に引き上げた経験、本社で全国規模の販売戦略を設計・推進した経験、リーダーとして既存業務を劇的に効率化した経験。数字で考え、現場で動き、組織を動かしてきたノウハウは、そのまま皆さまの会社の「即戦力」になります。 中小企業診断士として大切にしているのは、「一緒に汗をかく」姿勢です。きれいな提案書をお渡して終わりではなく、実行フェーズまで伴走することで、現場に根ざした成果につなげます。 お悩みを一人で抱え込まず、まずは気軽にご相談ください。皆さまのビジネスを、次のステージへ押し上げるお手伝いをいたします。

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