買収した会社に社会保険の未加入が発覚!?遡及請求のインパクトと買い手が取るべき対策
「パートは社会保険に入れなくていいと思っていた」
「週30時間未満だから対象外だと認識していた」
M&Aの労務デューデリジェンス(DD)で、こうした社会保険の未加入が発覚するケースは珍しくありません。問題は、この「未加入」が買い手にとって数百万円〜数千万円の簿外債務になりうるということです。
本記事では、社会保険の未加入リスクが買い手にどのような影響を与えるのか、そしてどう対策すべきかを解説します。
社会保険の「未加入」はなぜ起きるのか
社会保険(健康保険・厚生年金)の加入義務があるにもかかわらず、未加入のまま放置されているケースは中小企業で非常に多く見られます。
よくあるパターンは以下のとおりです。
パターン1:パート・アルバイトの加入漏れ
「パートだから社会保険は不要」という誤解は根強いですが、実際には一定の条件を満たせばパートでも加入義務があります。
2024年10月からは、従業員51人以上の企業で週20時間以上働くパート・アルバイトも社会保険の加入対象となりました。制度改正のたびに対象範囲が広がっているため、「昔は対象外だった」従業員が今は加入義務者になっているケースが多発しています。
パターン2:会社ぐるみで未加入
経営が厳しい会社では、社会保険料の負担を避けるために意図的に未加入のまま放置しているケースもあります。
社会保険料は会社負担分だけで給与の約15%。月給30万円の従業員が10人いれば、毎月45万円、年間540万円の負担です。この負担を避けたいという動機は理解できますが、M&Aの場面では重大なリスクになります。
パターン3:そもそも届出を忘れていた
創業間もない会社や、経理・労務の専任者がいない会社では、単純に届出を忘れているケースもあります。「いつか届け出よう」と思っているうちに何年も経ってしまった、というパターンです。
社会保険の未加入が発覚したら何が起きるか
最大2年分の遡及請求
社会保険の未加入が発覚した場合、加入要件を満たした時点まで遡って加入手続きが必要です。ただし、保険料の時効は2年のため、実際に請求されるのは最大2年分です。
「2年分」と聞くと大したことがないように感じるかもしれませんが、金額のインパクトは想像以上です。
具体的な金額シミュレーション
たとえば、月給25万円の従業員が10人、2年間未加入だった場合を考えてみましょう。
社会保険料(健康保険+厚生年金)は、会社負担分と従業員負担分を合わせて給与の約30%です。月給25万円なら、月額約7.5万円の保険料が発生します。
これが10人×24ヶ月分となると、
7.5万円 × 10人 × 24ヶ月 = 1,800万円
この金額を、発覚後に一括で納付しなければなりません。しかも、遅延金も加算される可能性があります。
従業員負担分の回収問題
さらに厄介なのは、従業員負担分(約半分)の取り扱いです。
本来、社会保険料は会社と従業員が折半で負担します。しかし、過去の未加入分について、退職した従業員から負担分を回収するのは事実上不可能です。連絡が取れない、拒否される、といったケースがほとんどです。
その結果、会社が全額を負担することになるケースが多く、負担額がさらに膨らみます。
M&Aにおける社会保険未加入リスク
株式譲渡では買い手が引き継ぐ
株式譲渡によるM&Aでは、会社の権利義務はそのまま買い手に引き継がれます。つまり、社会保険の未加入リスク(=将来の遡及請求リスク)も買い手の負担になるということです。
DDで発覚した場合はまだ交渉の余地がありますが、クロージング後に年金事務所の調査で発覚した場合、買い手は何の補償もなく負担を強いられる可能性があります。
労務DDでチェックされるポイント
労務DDでは、以下の資料を突き合わせて社会保険の加入状況を検証します。
- 従業員名簿(全員分)
- 社会保険の被保険者一覧
- 雇用契約書(労働時間・勤務日数の確認)
- 賃金台帳
- 出勤簿・勤怠記録
特に注意が必要なのは、「パート」「アルバイト」「契約社員」など非正規雇用の従業員です。週の労働時間が20時間を超えているのに未加入、というケースが非常に多く見られます。
DDで発覚した場合の対応
労務DDで社会保険の未加入リスクが発覚した場合、買い手が取りうる対応は主に3つです。
- 売却価格の減額
想定される遡及請求額を見積もり、その分を売却価格から差し引く交渉を行います。 - 表明保証条項への反映
「社会保険の未払いがないこと」を売り手に保証させ、違反があった場合は売り手が補償する条項を契約に盛り込みます。 - M&Aの中止
未加入者が多数に上り、リスクが大きすぎると判断した場合は、M&Aそのものを見送る選択肢もあります。
売り手が今からできる対策
M&Aを検討している売り手企業は、DDで指摘を受ける前に自社の状況を点検しておくべきです。
加入漏れのチェック
全従業員の労働時間・勤務日数を確認し、社会保険の加入要件を満たしているかをチェックします。特に、以下の従業員は要注意です。
- 週20時間以上働いているパート・アルバイト
- フルタイムに近い勤務をしている契約社員
- 名目は「業務委託」だが実態は雇用に近い外部スタッフ
自主的な届出
加入漏れが発覚した場合、年金事務所の調査を待つよりも自主的に届け出た方が有利です。自主加入の場合は、加入申請をした月からの適用となるケースが多く、遡及期間を最小限に抑えられる可能性があります。
ただし、悪質と判断された場合は自主加入でも2年分の遡及適用となるため、早めの対応が重要です。
簿外債務としての認識
すでに未加入期間が長期に及んでいる場合は、遡及請求の可能性を「簿外債務」として認識し、M&Aの交渉段階で開示することを検討すべきです。
隠していてDDで発覚した場合、買い手からの信頼を大きく損なうことになります。正直に開示した上で、対応策を一緒に検討する方が、結果的に良い条件での売却につながることが多いです。
まとめ
社会保険の未加入は、中小企業では珍しくない問題です。しかし、M&Aの場面では数百万円〜数千万円の簿外債務として顕在化するリスクがあります。
買い手は、労務DDで社会保険の加入状況を徹底的にチェックし、リスクを適切に評価した上で価格交渉・契約交渉に臨むべきです。
売り手は、DDで指摘を受ける前に自社の状況を点検し、問題があれば早めに対処することをお勧めします。
当事務所では、公認会計士・社会保険労務士の資格を持つ代表が、財務DDと労務DDの両面からM&Aのリスク診断を行っています。「買収を検討しているが労務リスクが心配」「売却前に自社の労務状況を点検したい」という方は、お気軽にご相談ください。


