「固定残業代を払っているから大丈夫」は危険?M&A・労務DDで発覚する未払い残業代リスク

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下木原 誠
 編集:下木原 誠
 公認会計士、税理士、中小企業診断士、社会保険労務士、応用情報技術者

公認会計士、税理士、中小企業診断士、社会保険労務士、応用情報技術者

「うちは固定残業代を払っているから、残業代の問題はない」

経営者の方からよくいただく言葉です。しかし、M&Aの労務デューデリジェンス(DD)の現場では、この「固定残業代」が原因で数百万円〜数千万円の簿外債務が発覚するケースが後を絶ちません。

本記事では、固定残業代が無効になるケースと、経営者が見落としがちな未払い残業代リスクについて、実務の視点から解説します。

そもそも固定残業代とは?制度自体は違法ではない

固定残業代(みなし残業代、定額残業代とも呼ばれます)は、毎月一定額の残業代をあらかじめ給与に含めて支払う制度です。

たとえば「月給30万円(固定残業代5万円・30時間分を含む)」といった形で、想定される残業時間分の残業代を先払いするイメージです。

この制度自体は違法ではありません。適正に運用されていれば、会社にとっては給与計算の簡略化、従業員にとっては残業が少ない月でも一定額が保証されるというメリットがあります。

ただし、「固定残業代を払っている=残業代は一切払わなくてよい」ではありません。ここを誤解している経営者が非常に多いのが実情です。

固定残業代が「無効」になる5つのケース

労務DDの現場で「これは無効の可能性が高い」と判断するのは、以下のようなケースです。

ケース1:基本給と固定残業代が明確に分かれていない

最も多いパターンがこれです。

雇用契約書に「基本給30万円(固定残業代含む)」とだけ書かれていて、固定残業代がいくらなのか、何時間分なのかが明記されていない場合、裁判では「明確区分性がない」として無効と判断されるリスクがあります。

適正な記載例:
基本給25万円、固定残業代5万円(30時間分)。30時間を超えた場合は別途支給

金額と時間数が明確に分かれている必要があります。

ケース2:想定残業時間が長すぎる

「固定残業代80時間分」といった設計は、公序良俗に反するとして無効になる可能性があります。

東京高裁のイクヌーザ事件(平成30年10月4日判決)では、月80時間相当の固定残業代の定めについて、長時間労働を恒常的に行わせることを予定したものとして無効と判断されました。

一般的に、固定残業時間は月45時間以内に設定するのが安全です。これは労働基準法の時間外労働の上限(原則月45時間)とも整合します。

ケース3:超過分の残業代を払っていない

固定残業代が30時間分なのに、実際には毎月50時間残業している。にもかかわらず、超過した20時間分の残業代を払っていない——このケースは非常に多く見られます。

固定残業代は「〇時間までは定額」という制度であり、超えた分は当然支払い義務があります。「固定だから追加は不要」という運用は完全にアウトです。

ケース4:労働時間を管理していない

「固定残業代を払っているから、労働時間の管理は不要」と考えている会社があります。これは危険な誤解です。

固定残業代を払っていても、実際の労働時間を把握する義務は残ります。タイムカードや勤怠システムで記録を取っていない場合、従業員から「実際は100時間残業していた」と主張されたとき、会社側が反証するのは困難です。

ケース5:求人票と雇用契約書の内容が異なる

求人サイトには「月給30万円」と記載し、実際の雇用契約書では「基本給20万円+固定残業代10万円」となっているケース。これは採用時の説明義務違反となるだけでなく、固定残業代の有効性自体が否定される根拠にもなります。

2024年4月の職業安定法改正により、求人時の労働条件明示義務がさらに厳格化されています。固定残業代がある場合は、金額・時間数・超過分の支払いについて明示が必要です。

固定残業代が無効になるとどうなるか

残業代の「再計算」が必要になる

無効になった固定残業代は「基本給の一部」とみなされます。

つまり、月給30万円(うち固定残業代5万円)だった従業員は、基本給30万円として残業代を再計算されることになります。時給単価が上がるため、未払い残業代の額も跳ね上がります。

時効は「3年」、将来は「5年」に

2020年4月の労働基準法改正により、未払い残業代の請求時効は2年から3年に延長されました。さらに、将来的には5年に延長される予定です。

3年分の未払い残業代が積み上がると、従業員1人あたり数百万円になることも珍しくありません。従業員が10人いれば、会社全体で数千万円の簿外債務が発生する計算です。

「付加金」の支払いを命じられる可能性

裁判で悪質と判断された場合、裁判所は未払い残業代と同額の「付加金」の支払いを命じることができます。つまり、未払い残業代が500万円なら、最大で1,000万円の支払い命令が出る可能性があるのです。

M&Aの労務DDで「固定残業代」はどう見られるか

M&Aの買い手は、売り手企業の労務リスクを非常に注視します。特に株式譲渡の場合、未払い残業代は買い手がそのまま引き継ぐ「簿外債務」となるからです。

DDでチェックされるポイント

労務DDでは、以下の書類を突き合わせて固定残業代の有効性を検証します。

  • 就業規則・賃金規程
  • 雇用契約書(全従業員分)
  • 給与明細
  • 勤怠記録(タイムカード、勤怠システムのログ)
  • 求人票・採用時の説明資料

これらの整合性が取れていない場合、「固定残業代は無効」「未払い残業代〇〇万円の可能性あり」とDDレポートに記載されます。

買い手の反応

DDで未払い残業代リスクが発覚した場合、買い手の対応は主に3つです。

  1. 売却価格の減額
    想定される未払い残業代相当額を価格から差し引く
  2. 表明保証条項への反映
    「簿外債務が発覚した場合は売り手が補償する」という条項を契約に盛り込む
  3. M&Aの中止
    リスクが大きすぎると判断して破談になる

いずれにしても、売り手にとっては不利な展開です。固定残業代の問題は、できればM&Aを検討する前に解消しておきたいところです。

今からできる対策

固定残業代の問題は、早期に発見・対応すれば傷を小さくできます。

雇用契約書・就業規則の見直し

まずは、現在の雇用契約書と就業規則を点検しましょう。固定残業代の金額・時間数・超過分の支払いについて、明確に記載されているかを確認します。

記載が曖昧な場合は、従業員の同意を得た上で契約書を更新する必要があります。ただし、従業員に不利益な変更となる場合は、慎重な対応が求められます。

勤怠管理の徹底

労働時間を1分単位で記録・管理する体制を整えましょう。固定残業時間を超えた分は、必ず追加で支払う運用に改めます。

「うちは自己申告制だから」という会社も多いですが、客観的な記録がないと、後から「実際はもっと働いていた」と主張されるリスクがあります。

過去の未払い分の精算

すでに未払い残業代が発生している可能性がある場合、自主的に精算することも選択肢です。従業員から請求される前に対応することで、付加金のリスクを回避できます。

ただし、精算の方法や金額については、社労士や弁護士と相談の上で進めることをお勧めします。

まとめ

固定残業代は、正しく設計・運用されていれば有効な制度です。しかし、「固定残業代を払っているから残業代は大丈夫」という思い込みは危険です。

特にM&Aを検討している経営者の方は、早めに自社の労務リスクを点検しておくことをお勧めします。DDで発覚してからでは、交渉上不利な立場に立たされてしまいます。

当事務所では、公認会計士・社会保険労務士の資格を持つ代表が、財務DDと労務DDの両面から企業の課題を診断しています。M&Aを検討中の方も、これから検討する方も、まずはお気軽にご相談ください。

下木原 誠
 編集:下木原 誠
 公認会計士、税理士、中小企業診断士、社会保険労務士、応用情報技術者

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